詩篇114
2025-05-09

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「イスラエルがエジプトをいで、ヤコブの家が異言の民を離れたとき、ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の所領となった。」(1,2節)
イスラエルの民はエジプトでの強制労働からモーセが率いて出エジプトを果たしました。ユダヤ地方はイスラエルの民の所有地となり、その民は神の持ち物となりました。
「海はこれを見て逃げ、ヨルダンはうしろに退き、山は雄羊のように踊り、小山は小羊のように踊った。」(3,4節)
これは神の息で紅海を分けたことを歌います。出エジプト15章8節に「あなたの鼻からの息によって、水は集まり、壁となって、大水をせき止めた。波立つ水が海の真ん中で固まった。」とあるとおりです。ヨルダンが後ろに退いたのは、ヨルダン川がせき止められたことを言っています。ヨシヤ記3章15節から17節に「ヨルダン川に着いて、足を水に入れるとすぐ(ヨルダン川は収穫期の間ずっと水が岸にあふれている)、上流から流れてくる水は止まった。」とあるのです。
「海よ、おまえはどうして逃げるのか、ヨルダンよ、おまえはどうしてうしろに退くのか。」(5節)
詩篇作者は通常の物理法則では起こりえない、海が逃げたり、ヨルダン川が退くことを不思議に思うと疑問を投げかけます。
「山よ、おまえたちはどうして雄羊のように踊るのか、小山よ、おまえたちはどうして小羊のように踊るのか。」(6節)
同じように山が踊り、小山も踊ることを起こるはずがないのではないかと歌います。これはモーセが十戒を神から授けられた時のことでしょう。創世記19章18節に「ヤハウェが火と共にシナイ山に下ってきたため、山は煙に覆われた。煙は窯の煙のように立ち上り、山全体が激しく震動した。」とあるように、シナイ山全体が激しく動いたことを表現したのでしょう。
「地よ、主のみ前におののけ、ヤコブの神のみ前におののけ。」(7節)
地上にいる者は皆、ヤコブの神であるヤハウェ神の御前におののくように命じます。なぜなら、神は海や川や山を自由に操れる力をお持ちだからです。一体誰がこのような神に対抗できるでしょうか?誰も歯向かえないはずです。
「主は岩を池に変らせ、石を泉に変らせられた。」(8節)
これも出エジプトの時にモーセが行ったことを描写したようです。民数記20章11節に「モーセは手を上げ,つえで大岩を2度打った。すると、たくさんの水が出てきて、民と家畜は飲みだした。」とあるからです。当時モーセが率いたイスラエルの民は数十万人でしたから、多くの水が出れば池にもなったはずです。家畜が飲むためには池になっていれば飲み易いでしょう。神からの恵みに感謝したいと思います。