詩篇115
2025-05-10

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「主よ、栄光を/われらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください。」(1節)
神の慈しみと真理のゆえに、神にのみ栄光が帰すように願います。
「なにゆえ、もろもろの国民は言うのでしょう、『彼らの神はどこにいるのか』と。」(2節)
諸国民は神を持っていますが、イスラエルの神は霊者ですから目に見えません。
「われらの神は天にいらせられる。神はみこころにかなうすべての事を行われる。」(3節)
真の神は天におられますが、神の御心は地に行われています。
「彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。」(4節)
諸国民は偶像を作り、目に見える形にしますが、作者は人間です。
「それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。」(5~7節)
まさに、偶像は人間のような形をしていても何の活動もできません。
「これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる。」(8節)
ですから、偶像を造る者も、それを信仰の対象とする者も空しいのです。
「主を恐れる者よ、主に信頼せよ。主は彼らの助け、また彼らの盾である。」(11節)
ヤハウェ神を畏れる者は違います。神は実際にイスラエルの民を助け守ってきました。
「主はわれらをみこころにとめられた。主はわれらを恵み、イスラエルの家を恵み、アロンの家を恵み、また、小さい者も、大いなる者も、主を恐れる者を恵まれる。」(12,13節)
神がイスラエルの民のことを御心に留め、神を畏れる者に恵みを与えてくださいます。
「天地を造られた主によって/あなたがたが恵まれるように。」(15節)
ヤハウェ神は天地の創造者です。イスラエルの民は特別に神から選ばれたわけですが、これはアブラハムとの契約のためにそうしているわけです。創世記15章5節で「神はアブラムを外に連れていき,こう言った。『天を見上げ,星を数えてごらんなさい。もしも数えることができるのなら』。そして言った。『あなたの子孫も星のように多くなる』。」とあるように神とアブラハムとの契約で子孫を増やすことを約束されたのです。
「天は主の天である。しかし地は人の子らに与えられた。」(16節)
天は神のお住まいです。地上は人の子らの住まいです。
「死んだ者も、音なき所に下る者も、主をほめたたえることはない。」(17節)
死んで墓に入れば、神を誉め称えることはできません。
「しかし、われらは今より、とこしえに至るまで、主をほめまつるであろう。主をほめたたえよ。」(18節)詩篇作者の決意は永遠に神を褒め称えることです。