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 詩篇117

2025-05-13

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
117篇は2節しかない短いものです。どうしてこれが一つの歌として扱われたのか不明です。しかし、116篇から続く神を褒め称えることをまとめたようです。
「もろもろの国よ、主をほめたたえよ。もろもろの民よ、主をたたえまつれ。」(1節)
諸国民に対してヤハウェ神を褒め称えることを命じています。聖書はイスラエルの民だけに書かれたものではないことが分かります。
この聖句を1世紀にパウロは引用しました。ローマ人への手紙15章11節に「さらにこうあります。『全ての国よ、ヤハウェを賛美せよ。全ての民は神を賛美せよ』。」とあるのです。
ですから、詩篇の聖句が1世紀に成就していることを示しました。また、黙示録7章9,10節には、「その後、私が見ると、全ての国や民族や種族や言語の人々の中から来た、誰も数え切れない大群衆が、王座と子羊の前に立っていた。~そして大声でこう叫び続ける。『私たちが救われたのは、王座に座っておられる私たちの神と、子羊のおかげです』。」とあります。つまり将来、すべての国から大群衆がヤハウェ神と子羊であるイエス・キリストを賛美するのです。
「われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。主のまことはとこしえに絶えることがない。主をほめたたえよ。」(2節)
神は我々の先祖であるアダムとエバの罪に対して、とても寛大に処遇されました。命の木の実を食べられなくなったので、いずれ死ぬようになりましたが、救いの手だてを差し伸べました。子孫からイエス・キリストが生まれて、アダムの罪を取り去る犠牲の死を差し出したのです。
神の基準は変わりません。命には命、死には死です。このことはパウロが説明しています。ローマ人への手紙5章19節から21節に「こうして、1つの過ちによってあらゆる人が有罪宣告を受けたように1つの正しい行いによってあらゆる人が正しいと認められ、命を得られるようになりました。  1人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、1人の人の従順によって多くの人が正しい人になるのです。 ~罪が死と共に王として支配したように、惜しみない親切も正しさを通して王として治め、主イエス・キリストによって永遠の命に導くためです。」とあります。
神は人間を愛しておられます。その証拠はイエスを地上に遣わし、罪の償いをすることで人々が救われるようにされたことです。
詩篇作者の時代は、このようなことがまだなされていなかったのですが、人々に生きるための必要物を備えてくださったことは確かです。本来なら罪の結果である死を宣告されていたのですが、子孫を繋いでくださったのです。神の真理は永遠に変わることがありません。その基準がぶれることもありません。
ですから、ハレルヤ、つまり「ヤハ(ヤハウェの短縮形)を賛美せよ」となるのです。