詩篇118
2025-05-15

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」(1節)
ヤハウェ神の恵みは深く、慈しみは永遠に続くのです。
「主をおそれる者は言え、『そのいつくしみはとこしえに絶えることがない』と。」(4節)
神を畏れる者は詩篇作者に同調するように「慈しみは永遠に続く」と言うように命じます。
「主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。主に寄り頼むはもろもろの君にたよるよりも良い。」(8,9節)
神に寄り頼むことは、人に頼ったり君主に頼るより良いのです。人々は裏切ることがあるからです。
「もろもろの国民はわたしを囲んだ。わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。」(10節)
イスラエルの民は周りの諸国民から攻められました。詩篇作者は自分の力ではなく神の力に頼ります。
「主はわが力、わが歌であって、わが救となられた。」(14節)
神の力で勝利したので歌を歌ったのでしょう。神の救いが実現したのです。
「聞け、勝利の喜ばしい歌が正しい者の天幕にある。『主の右の手は勇ましいはたらきをなし、主の右の手は高くあがり、主の右の手は勇ましいはたらきをなす』。」(15,16節)
天幕で勝利の歌が聞こえます。「神の手が勇ましい働きをした」と。
「家造りらの捨てた石は/隅のかしら石となった。これは主のなされた事で/われらの目には驚くべき事である。」(22,23節)
これはイエス・キリストが地上におられたときに実現しました。マタイ伝21章42節に「イエスは言った。「聖書の中で読んだことがないのですか。『建築者たちの退けた石、それが主要な隅石となった。これはヤハウェによって生じたのであり、私たちにとって驚くべきものである』とあります。」とあるのです。これは祭司長やパリサイ人に向けて語られました。つまり建築者はイエスを取り除くようにしましたが、神がそのイエスを主要な隅石にしたのです。当時の宗教指導者たちはイエスを役に立たないと思いましたが、神においてはその後のクリスチャンを立ち上げる主要な土台石にすることを計画していました。
「主は神であって、われらを照された。枝を携えて祭の行列を祭壇の角にまで進ませよ。」(27節)神の真理の光がイスラエルの民に照らされます。仮小屋の祭りには枝で小屋を作りますが、イエス・キリストのエルサレム入城の時に人々は枝や上着を敷いて迎えられました。マタイ伝21章8節に「群衆の多くは自分の外衣を道路に敷き、ほかの人たちは木の枝を切り落として道路に敷いていった。」とあります。
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに/絶えることがない。」(29節)
1節の言葉を再び歌います。神の恵みと慈しみは永久に絶えないのです。