詩篇120
2025-05-20

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
都もうでの歌です。
「わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる。」(1節)
詩篇作者は悩み、ヤハウェ神に呼ばわります。すると神は答えてくださるのです。
「『主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください』。」(2節)
偽り事を言われたり、欺かれたことがあって、助けを求めるのです。
「欺きの舌よ、おまえに何が与えられ、何が加えられるであろうか。ますらおの鋭い矢と、えにしだの熱い炭とである。」(3,4節)
欺く者の舌には、いずれ勇者から矢が突き刺さり、熱い炭火が当てられます。つまり偽りの舌は二度と語れなくなるということです。
「わざわいなるかな、わたしはメセクにやどり、ケダルの天幕のなかに住んでいる。」(5節)
詩篇作者はメセクに住んでいるようです。メセクはヤぺテの子孫でケダルはイシマエルの子孫です。いずれもシリア地方に住んでいたようで、エルサレムから遠く離れた場所であったので災いと感じていたのでしょう。
「わたしは久しく平安を憎む者のなかに住んでいた。」(6節)
エルサレムから離れた場所では異邦人たちが住んでいて、その者たちは好戦的だったのかもしれません。実際イシマエルに対しては「あなたの子は、野ロバのような人になります。彼は誰にでも敵対し、誰もが彼に敵対します。彼は兄弟たちの向かい側に住みます。」(創世記16:12)と神からイシマエルの母に語っています。野ロバのように好戦的で周りの人と敵対していたようです。
現代でもアラビア人とイスラエル人と戦闘態勢を取っていますが、何千年も前から人は変わらないのかもしれません。もともとはアブラハムの子孫ですから、兄弟関係なのですが、性格的に相容れない関係だったのでしょう。
「わたしは平安を願う、しかし、わたしが物言うとき、彼らは戦いを好む。」(7節)
詩篇作者は平安を願っています。しかし周りの民は好戦的で、言うことに対して反発するのでしょう。戦うことを選択してしまうのです。
現代でもイスラエルと周辺国との関係は戦いの歴史です。1948年にイスラエルが建国されましたが、周辺国は何度もイスラエルを滅ぼすために戦闘をしかけてきました。その度にイスラエルは反撃し、かえって領土を広げたのです。現在、パレスチナ人はガザ地区とヨルダン川西岸に居住区を限定されている状態です。2023年10月にハマスがイスラエルに武力で攻め込み、人質を取ったことから戦闘が始まりました。イスラエルは人質を返還するようにハマスに伝えていて、全員を釈放しない限りイスラエルは攻撃続行するようです。ハマスは民間施設に拠点を持っているので、戦闘で民間人が死傷しているのです。
どちらにも言い分があるのでしょうが、平安を願うばかりです。