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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇122

2025-05-22

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデがよんだ都もうでの歌です。
「人々がわたしにむかって『われらは主の家に行こう』/と言ったとき、わたしは喜んだ。」(1節)
ダビデは人々が「ヤハウェ神の家に行こう」というのを聞いて喜んだのです。
「エルサレムよ、われらの足は/あなたの門のうちに立っている。」(2節)
神殿の門の中に入ることができたようです。
「しげくつらなった町のように/建てられているエルサレムよ、もろもろの部族すなわち主の部族が、そこに上って来て主のみ名に感謝することは、イスラエルのおきてである。」(3,4節)
エルサレムは城壁で囲まれていました。そしてその中に人々の住居や神殿があったのです。イスラエルは12部族に分かれていました。その部族が神の御名に感謝することはイスラエルの民の掟でもあったのです。
「そこにさばきの座、ダビデの家の王座が設けられてあった。」(5節)
エルサレムにはダビデの王家の宮殿もあり、王は王座について裁きもしていました。
「エルサレムのために平安を祈れ、『エルサレムを愛する者は栄え、その城壁のうちに平安があり、もろもろの殿のうちに安全があるように』と。」(6,7節)
イスラエルの民は都であるエルサレムを愛していたことでしょう。そこに神の神殿があり王の宮殿があり、人々が祈る庭もあったのです。
「わが兄弟および友のために、わたしは/『エルサレムのうちに平安があるように』と言い、」(8節)
ダビデは自分の兄弟や友人のために「エルサレムのうちに平安があるように」と言います。それは都が平安であれば、そこに住む人々も平安であるからです。
「われらの神、主の家のために、わたしは/エルサレムのさいわいを求めるであろう。」(9節)
神はエルサレムの神殿での人々の祈りを聞かれていたことでしょう。それで、ダビデはエルサレムの住民が幸福であることを願っていました。ダビデの祈りも神は聞いてこられました。そして、ダビデの家系から救い主なるイエス・キリストが生まれることも預言していました。ダビデがエルサレムの平安を祈ったようにイエス・キリストもエルサレムの平安を祈りたい気持ちだったことでしょう。しかし、現実は1世紀のエルサレムの宗教指導者から迫害され、磔の刑での死罪を決められてしまったのです。
イエスはそのことを嘆いて「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣わされた人々を石打ちにする者よ、私はめんどりが翼の下にひなを集めるようにあなた方を集めたいと何度思ったことでしょう。」と言いました。(マタイ23:37)