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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇124

2025-05-27

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデがよんだ都もうでの歌です。
「今、イスラエルは言え、主がもしわれらの方におられなかったならば、」(1節)
ダビデはイスラエルの民に問いかけます。「もし、ヤハウェ神が我々と共にいなかったらどうであろうか?」
「人々がわれらに逆らって立ちあがったとき、主がもしわれらの方におられなかったならば、」(2節)
イスラエルの民は周囲の人々から攻められることがあり、神が共にいなかったらどうなるか考えてみるように促します。
「彼らの怒りがわれらにむかって燃えたったとき、彼らはわれらを生きているままで、のんだであろう。」(3節)
イスラエルの民を亡き者にしようと怒りの炎を燃やす諸国家があったのでしょう。それらの諸国家はイスラエルを丸のみにしようとしたのでしょう。
「また大水はわれらを押し流し、激流はわれらの上を越え、さか巻く水はわれらの上を越えたであろう。」(4,5節)
大水は軍隊を表しています。激流のように逆巻き、イスラエルの民を襲うことでしょう。
「主はほむべきかな。主はわれらをえじきとして/彼らの歯にわたされなかった。」(6節)
ダビデは神をほめ称えます。なぜなら、神はイスラエルの民を守り、消滅するのを止めたからです。国家は獣に例えられることがあります。獰猛な獣は強靭な歯で獲物を食いちぎります。獲物が獣に殺されるようにはせず、神が護られたのです。
「われらは野鳥を捕えるわなをのがれる/鳥のようにのがれた。わなは破れてわれらはのがれた。」(7節)
細い網だと、鳥は網を認識できずにその網に捕らわれてしまいます。しかし、網に綻びがあるとその穴から逃れることができます。イスラエルの民も周囲の国家から罠をしかけられたのかもしれません。その罠から首尾よく逃れられるように神が関与してくださったのでしょう。
ダビデはサウル王から命を狙われていました。何の罪もありませんでしたが、サウル王はダビデに嫉妬したのです。当時の王は権力者ですから、自分のしたいことをする権力がありました。神は次の王をダビデと決めていたので、ダビデが生きながらえるようにしてくださいました。そのことを歌ったのかもしれません。(サムエル第一20章~24章)
「われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。」(8節)
ダビデは確信をもって言うことができました。ダビデが崇拝する神は天地の創造者であり、その御名であるヤハウェこそが助けてくださるということです。
ダビデのように命を狙われることはないでしょうが、強い信仰を持ちたいものです。