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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇125

2025-05-28

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
都もうでの歌です。これも短い歌で5節しかありません。
「主に信頼する者は、動かされることなくて、とこしえにあるシオンの山のようである。」(1節)
ヤハウェ神を信頼している者は、動揺することがありません。シオンはエルサレムの都がある山の名前です。永遠にあるというのは神の領域です。本当は天にある都のことだと思いますが、詩篇作者は天にある都の予型として地上のエルサレムに思いを馳せていたのでしょう。
「山々がエルサレムを囲んでいるように、主は今からとこしえにその民を囲まれる。」(2節)
エルサレムはシオンの山にありましたが、その周囲に多くの山がありあました。北にはヘルモン山、東にはネボ山、南にヘブロンの山、北西にカルメル山があります。そのように神はエルサレムの住民を囲んで守ってくださるのです。
「これは悪しき者のつえが/正しい者の所領にとどまることなく、正しい者がその手を/不義に伸べることのないためである。」(3節)
悪しき者の杖とは、悪人が裁きの杖をもって君臨する様子のことです。そのような者が義人の領地に入ることを神は許さないのです。悪人が支配すれば、義人でも不義を働くように染められてしまうかもしれません。そうならないように、神は常に見守ってくださるのです。
「主よ、善良な人と、心の正しい人とに、さいわいを施してください。」(4節)
詩篇作者は、神に祈るのです。善良な人、心正しい人に幸せが得られるようにして欲しいのです。
「しかし転じて自分の曲った道に入る者を/主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。」(5節)
義人であっても、何かのきっかけで神の道からそれて、曲がった事を行うことがあるかもしれません。例えば、誰も見ていないと思うと法律を破ったり、助けを求めている人を無視したりすることがあります。神はすべてをご覧になっています。誰も見ていないと思っても神は見ているのです。それは昼も夜も休むことがない神であれば可能なのです。
少しの罪は神は見過ごしてくださいます。なぜなら悔い改めて正しい道を歩むように正してくださるからです。しかし、悪を行い続ける人をそのまま見過ごすことはありません。
最終的な審判が下りるときに、神はそうした悪人を去らせてしまいます。
詩篇作者は、これらのことを理解していたので、イスラエルの民に平安を与えてくださるように神に祈ります。ヘブライ語で「シャローム」というのは通常の挨拶で使います。この意味は「あなたに平安がありますように」です。
真の神は「平和の神」です。(ピリピ4:9)