詩篇129
2025-06-06

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
都もうでの歌です。
「今イスラエルは言え、『彼らはわたしの若い時から、ひどくわたしを悩ました。」(1節)
イスラエルの民を悩ます者がいました。それは長い年月若い時からの悩みの種だったようです。
「彼らはわたしの若い時から、ひどくわたしを悩ました。しかしわたしに勝つことができなかった。」(2節)
ひどく悩まされたこと繰り返していますが、勝利したのは自分たちだと伝えます。
「耕す者はわたしの背の上をたがやして、そのうねみぞを長くした』と。」(3節)
自分の背中を耕されたように感じたようです。しかもその畝を長くしたということで長期に渡って苦しめられたことを言っています。
「主は正しくいらせられ、悪しき者のなわを断ち切られた。」(4節)
ヤハウェ神は正義を貫きます。ですから悪人のしかける縄目を断ち切ることをします。1世紀にはそのようなことが起きました。無実の罪でイエスの使徒たちは捕らえられました。そして獄舎につながれたのです。でもその不正な行為を神は見逃さず、縄目を断ち切ったのです。「使徒たちを捕らえて牢屋に入れた。 ところが、夜にヤハウェの天使が牢屋の戸を開き」(使途行伝5:18,19)とあるとおりです。
「シオンを憎む者はみな、恥を得て、退くように。」(5節)
真の神の存在を憎む者は、恥をかき退かされるのです。
「彼らを、育たないさきに枯れる/屋根の草のようにしてください。」(6節)
屋根には土や栄養がないので草は枯れるでしょう。そのように神を憎む者はいなくなるのです。
「これを刈る者はその手に満たず、これをたばねる者はそのふところに満たない。」(7節)
屋根の草は育たないので、それほど多くの量にはならないでしょう。神を憎む者の人数は少ないようです。
「かたわらを過ぎる者は、『主の恵みがあなたの上にあるように。われらは主のみ名によって/あなたがたを祝福する』と言わない。」(8節)
都もうでをせずに、ただ通りがかりの者は神を知らないのでしょう。ですから神の恵みも知らず、ヤハウェ神の御名を用いることもありません。神からの祝福のありがたさを知らないのです。
このように、神を知り、神の道に沿って生きることは何とすばらしい祝福でしょう。神を知らないと、このすばらしい祝福にあずかることがありません。今からでも遅くはないのです。神を知り、神の道を歩めば、信じられないほどの祝福があるのです。クリスチャンはこうしたことを知っているので幸福です。