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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 詩篇130

2025-06-07

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
都もうでの歌です。
「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。」(1節)
詩篇作者は深い淵にいるような状態から、ヤハウェ神に呼ばわります。
「主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。」(2節)
神に願いの声が聴いてもらいたくて、必死に祈っているようです。
「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に/目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。」(3節)
この表現は詩篇の各所にあります。詩篇143:2にも「あなたの前では誰も正しい人となれないからです。」とあります。神が人間の不完全さに注目するなら、誰も神の御前に立つことはできません。
「しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。」(4節)
神は人間の罪を許してくれるのです。ですから人は神に畏れかしこむのです。
「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。」(5節)
神様は色々な形で人々に啓示を与えてくださいます。それは聖書の一つの言葉かもしれません。そのようにして希望をもつことができます。
「わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。」(6節)
夜警の仕事はつらいので、早く夜が明けるのを待ち望みます。それよりも勝って神の助けを待ち望むのです。魂というのは命のことです。詩篇作者は命がけで神に願っていたのでしょう。
「イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。」(7節)
神は慈しみに富み、豊かな贖いを備えてくださいます。我々の罪の贖いをしてくださったのがイエス・キリストです。イエスは神から地上に遣わされ、完全な命を我々の罪の贖いとして捧げてくださったのです。ですから、もう律法を守ることはしないで良いのです。神は我々の罪を許してくださったのです。
「主はイスラエルを/そのもろもろの不義からあがなわれます。」(8節)
詩篇作者はイスラエルの民に呼び掛けていますが。イエス・キリスト以降は全ての人類に当てはまります。神から見れば、人間ははかなく弱く罪深い状態です。でも、神に信仰をもてば、すでに罪の許しが与えられていることが分かります。イエスの流された血によって新しい契約が発動されました。神からの霊によって生まれ変わることができるのです。
何とすばらしい神の契約でしょう。