詩篇134
2025-06-11

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
都もうでの歌です。これも3節しかない短い歌です。
「見よ、夜、主の家に立って/主に仕えるすべてのしもべよ、主をほめよ。」(1節)
夜でも、神の家の前でヤハウェ神に仕える人々がいたようです。多分祭司職の人だと思いますが、神を誉めるように詩篇作者は言います。詩篇作者自身が祭司だったのかもしれません。それで、祭司たるものは神をほめたたえるように歌ったのでしょう。
「聖所にむかってあなたがたの手をあげ、主をほめよ。」(2節)
聖所は祭司たちが、仕事をする場所でもありました。聖所には備えのパンを置く机がありました。そして聖所を照らす七枝の燭台が置かれていました。この燭台はメノラーと呼ばれています。そして香をたく台がありました。聖所の奥には至聖所と呼ばれる最も聖なる場所があり、そこに契約の箱が置かれていました。聖所と至聖所の間には垂れ幕があり至聖所は完全に外部から遮断されていて明かりはありません。神の臨在を示すシェキナの栄光があって、大祭司だけが年に1度だけ至聖所に入ることが許されていました。
祭司職の人は聖所の前で色々な仕事をしたことでしょう。そして詩篇作者は聖所に向かって手を挙げて神をほめたたえるように言うのです。
「どうぞ主、天と地を造られた者、シオンからあなたを祝福されるように。」(3節)
天と地を創造した神であるヤハウェ神が、シオンと呼ばれる神殿から神のしもべらを祝福してもらいたいと願うのです。
祭司職はレビ族の者と決められていました。それで、歴代第一9:33にあるように「レビ族の氏族長で、部屋にいる歌い手たちは、昼も夜も務めを果たす責任があった」とあるので、聖所に向かって歌を歌ったのだと思います。昼も夜もそうしたのです。きっと両手を挙げて神様を誉め歌ったのでしょう。
ここで、詩篇作者はまことの神が天地を創造された方であることを思い起こすように言います。神は目に見えません。神殿があったとしてもそこに永久に住むわけでもありません。
そのことは神殿を創建したソロモン王がこのように祈っています。
「神は果たして地上にお住みになるのでしょうか。天も、天の天も、あなたには狭く、十分ではありません。私が建てたこの家など、なおさらです。」(列王第一8:27)との記述があるのです。
神の偉大さを考えれば、ソロモン王の言葉は理にかなっています。神殿に神の栄光を表すシェキナの光はあったかもしれませんが、神が神殿に住むわけではないのです。それでも神は昼も夜も、しもべたちを守り祝福するために働いておられます。
このように、神は慈しみがあり、公正で、契約を守り、信頼できるお方です。そのような神を崇拝できることは、このうえなく喜ばしいことです。神の存在は見えなくても信仰の目で見れば、明らかに人々を見守っていることが分かります。