詩篇137
2025-06-16

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
この歌はバビロン捕囚後の詩人が作ったようです。
「われらは/バビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。」(1節)
遠い異国のバビロンでシオンを思い出して涙を流しました。
「われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。」(2節)
小型の琴を弾いて歌っていたことを止めたのです。
「われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、『われらにシオンの歌を一つうたえ』と言った。われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。」(3,4節)
ヤハウェ神に捧げる歌にはすばらしい旋律のものもあったでしょう。バビロンの支配者から詩人に歌えと言われても、そのような気持ちにはなれなかったことでしょう。
「エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。もしわたしがあなたを思い出さないならば、もしわたしがエルサレムを/わが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください。」(5,6節)
詩人はエルサレムを忘れることがないことを誓います。忘れることがあれば右の手、つまり力がなくなるように、舌が顎につく、つまり口を閉ざして話せなくなっても良いというのです。
「主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、『これを破壊せよ、これを破壊せよ、その基までも破壊せよ』と/言ったことを覚えてください。」(7節)
エドムはヤコブの兄弟です。ですがエルサレムの民に対して攻撃的な態度をとったようです。これはオバデヤ書の8節~10節に「ヤハウェは宣言する。『その日,私はエドムから賢人たちを滅ぼし、エサウの山地から識別力を除き去る。~あなたは兄弟ヤコブに加えた暴力のゆえに恥で覆われる。あなたは永久に消え去る。」とあるように神は覚えて行動します。
「破壊者であるバビロンの娘よ、あなたがわれらにしたことを、あなたに仕返しする人はさいわいである。」(8節)
バビロンは古代の都市ですが、都市は女性系で描かれます。それでバビロンに復讐を願っていることになります。実際にバビロンはメド・ペルシャに滅ぼされました。今、そこは都市の廃墟となっています。
「あなたのみどりごを取って/岩になげうつ者はさいわいである。」(9節)
このことはイザヤ書に預言されました。「アモツの子イザヤが見た幻。バビロンに対する宣告。~彼らの子供たちは目の前で打ち砕かれ、家々は略奪され、妻たちは暴行される。」(イザヤ13:1~16)
中東において多くの国々の興亡がありました。イスラエルは今も交戦中です。中東に平和が来るのは、神の取り決めの日になるのでしょう。