詩篇142
2025-06-25

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデがほら穴にいた時によんだマスキールの歌、祈です。
「わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。」(1節)
ダビデはサウル王から逃げて洞穴に隠れました。マスキールの意味は不明です。
「わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。」(2節)
ダビデはヤハウェ神に声を出して嘆きと悩みを祈ったのでしょう。
「わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます。彼らはわたしを捕えようと/わたしの行く道にわなを隠しました。」(3節)
ダビデの命は風前の灯だったようです。ダビデの行く道に敵は罠を仕掛けました。
「わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。」(4節)
ダビデを助けてくれる者がいないか見渡しても、地上には逃げ場も援助者もいません。
「主よ、わたしはあなたに呼ばわります。わたしは言います、『あなたはわが避け所、生ける者の地でわたしの受くべき分です。」(5節)
何度か出てくる表現です。神は避難所であり、地上の命を生かす方です。
「どうか、わが叫びにみこころをとめてください。わたしは、はなはだしく低くされています。わたしを責める者から助け出してください。彼らはわたしにまさって強いのです。」(6節)
ダビデの祈りは叫ぶように発声します。ダビデは弱っています。敵はダビデを攻めて来るので助けて欲しいと言うのです。まさにヘルプミーと叫んだのでしょう。サウル王は軍勢を整えてダビデを探していましたから、強大な敵でした。
「わたしをひとやから出し、み名に感謝させてください。あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう』。」(7節)
ダビデの隠れていた洞窟は、逃げ出すこともできない牢獄のように感じたのでしょう。そこから離れて安住できるところで神に感謝の祈りを捧げたいと言うのです。ヤハウェ神はダビデの窮状を良くご存じです。神の行動はすべて完璧で最善の選択をしてこられました。ダビデのその後の生き方は、苦しみを体験したからこそ実現できたのです。苦難や弱くなった時こそ神に祈る時です。その後、ダビデは素晴らしい行動をすることができました。追いかけてきたサウル王を殺害することのできる場面で、ダビデはしませんでした。サウル王もかつて神から油注がれた者であることを理解していたからです。
「ダビデは部下たちに言った。『私の主人に、ヤハウェが選んだ人に、私が手を出してこのようなことをするなど、ヤハウェの観点からは考えられないことです。ヤハウェが選んだ人なのですから』。」(サムエル第一24:6)
その後、ダビデは王としてイスラエルを統治します。人々は歓迎します。