詩篇144
2025-06-27

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
ダビデの歌です。
「わが岩なる主はほむべきかな。主は、いくさすることをわが手に教え、戦うことをわが指に教えられます。」(1節)
ヤハウェ神はダビデにとって、大岩であり、戦の仕方を教える方なのです。
「主はわが岩、わが城、わが高きやぐら、わが救主、わが盾、わが寄り頼む者です。主はもろもろの民をおのれに従わせられます。」(2節)
神は大岩で、城で、高い櫓です。救い主で、盾となってダビデを守るので頼れる方です。ヤハウェ神は、諸国民を従わせることもお出来になります。
「主よ、人は何ものなので、あなたはこれをかえりみ、人の子は何ものなので、これをみこころに、とめられるのですか。」(3節)
神の圧倒的な力の前には、人は価値の低いものと考えてもおかしくないと思うのです。
「人は息にひとしく、その日は過ぎゆく影にひとしいのです。」(4節)
人は呼気のようで、人生も過行く影のようにもろいと思うのです。
「主よ、あなたの天を垂れてくだり、山に触れて煙を出させてください。いなずまを放って彼らを散らし、矢を放って彼らを打ち敗ってください。」(4,5節)
神が天から下り、山を震わせ、雷で敵を打ち破って欲しいと願うのです。
「あなたは王たちに勝利を与え、そのしもべダビデを救われます。」(10節)
ダビデは神の僕として、ダビデに連なる王たちに勝利を得させて欲しいのです。
「わたしを残忍なつるぎから救い、異邦人の手から助け出してください。彼らの口は偽りを言い、その右の手は偽りの右の手です。」(11節)
ダビデの周りの諸国民は、残忍で、偽りを語るようです。嘘で権力を維持していたのでしょう。ダビデは助けを神に求めるのです。
「われらのむすこたちはその若い時、よく育った草木のようです。われらの娘たちは宮の建物のために刻まれた/すみの柱のようです。」(12節)
イスラエルの男子は、萌え出す草木のように生気にあふれ、女子は柱の彫刻のようにしっかりしています。
「われらの倉は満ちて様々の物を備え、われらの羊は野でちよろずの子を産み、われらの家畜はみごもって子を産むに誤ることなく、われらのちまたには悩みの叫びがありません。」(13,14節)
穀物が蓄えられ、家畜も子を沢山産み、市内で悩む者がいなくなるのです。
「このような祝福をもつ民はさいわいです。主をおのが神とする民はさいわいです。」(15節)ヤハウェ神を信仰して、神からの祝福を得られることは幸福です。
ダビデの結論は、ヤハウェ神を信じる者は幸だと言うことです。