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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 詩篇150

2025-07-05

美しい詩を読むと心が豊かになります。本当はメロディーがあったはずです。
「主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。」(1節)
詩篇の最後の歌になります。ヤハウェ神を誉め称えるのは、神殿にある聖所でも行われ、神の御業が現れる大空でもなされるのです。
「その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。そのすぐれて大いなることのゆえに/主をほめたたえよ。」(2節)
神の御業はあらゆるところに現れています。当時は地球の素晴らしい環境を事細かに知ることはできなかったでしょう。それでも神が人々のために季節ごとの食物を得られるようにしてくださったことは理解していたと思われます。
「ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。」(3節)
ラッパの音は遠くまで響きます。その音によって人々は神を誉め称えることをしたかもしれません。
「鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。」(4節)
鼓の音も規則的に叩くことでリズムが生まれます。きっと踊りたくなるようなリズムだったのでしょう。弦楽器と笛は旋律を奏でたことでしょう。音楽には大きな力になることがあります。
「音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。」(5節)
シンバルは高くて強い音を出します。そのシンバルを連続して叩けば気持ちも高揚したのではないでしょうか?こうして、オーケストラのように音を重ねて協和音を作り出したかもしれません。残念ながら、現在にはそのような音楽の譜面が伝わることはありませんでした。それでもこのように歌詞だけは写字生のおかげで残されました。
「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。」(6節)
詩篇作者の最後の結論は、命のあるものはヤハウェ神を誉め称えなさい、というものでした。
これで、詩篇の150篇をすべて読んできました。
皆様の心に残った歌はあったでしょうか?
これまで、いくつかの詩篇を読んで感動することがありました。このように多くの詩篇作者がいて、祈りのように詩を綴ったことがわかりました。ダビデの作品が多いのですが、ダビデは正直に自分の気持ちを歌にしました。喜びも悲しみも苦しみも嘆きも、色々な表現で示されました。詩篇で最も暗い歌とされているものもありました。
それでも最後は神の愛に感謝して賛美することをしています。
神の素晴らしさは、どんな言葉でも表せないほど豊かだと思います。