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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
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 イザヤ5

2025-10-06

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「わたしはわが愛する者のために、そのぶどう畑についてのわが愛の歌をうたおう。わが愛する者は土肥えた小山の上に、一つのぶどう畑をもっていた。彼はそれを掘りおこし、石を除き、それに良いぶどうを植え、その中に物見やぐらを建て、またその中に酒ぶねを掘り、良いぶどうの結ぶのを待ち望んだ。ところが結んだものは野ぶどうであった。」((1,2節)ブドウ畑はエルサレムのことのようです。
「それで、わたしが、ぶどう畑になそうとすることを、あなたがたに告げる。わたしはそのまがきを取り去って、食い荒されるにまかせ、そのかきをとりこわして、踏み荒されるにまかせる。」(5節)
ヤハウェ神はエルサレムの人々に良い種を植えたのに、野ぶどうが実ってしまったので、エルサレムを踏み荒らされるようにします。
「万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家であり、主が喜んでそこに植えられた物は、ユダの人々である。主はこれに公平を望まれたのに、見よ、流血。正義を望まれたのに、見よ、叫び。」(7節)
神は公平と正義を望まれたのに、イスラエルには流血と叫びがあるのです。
「万軍の主はわたしの耳に誓って言われた、『必ずや多くの家は荒れすたれ、大きな麗しい家も住む者がないようになる。」(9節)
エルサレムの家々には誰も住まなくなるのです。
「それゆえ、わが民は無知のために、とりこにせられ、その尊き者は飢えて死に、そのもろもろの民は、かわきによって衰えはてる。」(13節)
バビロン捕囚を預言しています。富んだ者も国民も飢えと渇きで死ぬのです。
「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。」(20節)
人々は悪を善とし、善を悪とするように、正義と正反対のことをしたようです。
「それゆえ、火の舌が刈り株を食い尽すように、枯れ草が炎の中に消えうせるように、彼らの根は朽ちたものとなり、彼らの花はちりのように飛び去る。彼らは万軍の主の律法を捨て、イスラエルの聖者の言葉を侮ったからである。」(24節)
ヤハウェ神の律法を捨て、イスラエルの聖者の言葉を侮ったので、エルサレムは炎で焼かれ、根も朽ちて、花も飛び去るのです。
「その日、その鳴りどよめくことは、海の鳴りどよめくようだ。もし地をのぞむならば、見よ、暗きと悩みとがあり、光は雲によって暗くなる。」(30節)
イスラエルの終わりの日は、海の咆哮のように大音が鳴り響き、地上は雲で暗くなり、悩む人々であふれるのでしょう。確かにバビロニアによってエルサレムは崩壊させられ、多くの者が死に、一部の人々はバビロニアに連れ去られました。預言は成就したのです。