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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 イザヤ9

2025-10-10

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。」(1節)
これはイエス・キリストに当てはまりました。マタイ伝4:15,16に「ゼブルンの土地とナフタリの土地、海の道路沿い、ヨルダン川の向こう側、異国の人々のガリラヤよ!闇にいる民は大きな光を見、死の陰に覆われた地方にいる人たちの上に光が昇った。」とあるのです。
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。」(6節)
これもイエス・キリストに当てはまります。「その子は偉大な者となり、至高者の子と呼ばれます。ヤハウェ神は父ダビデの王座を彼に与え、彼は王としてヤコブの子孫を永久に治めます。」(ルカ伝1:32,33)にあるとおりです。
「主はイスラエルから頭と尾と、しゅろの枝と葦とを一日のうちに断ち切られる。」(14節)
ヤハウェ神を求めないイスラエルの民は断ち切られます。
「その頭とは、長老と尊き人、その尾とは、偽りを教える預言者である。」(15節)
頭とは長老とか尊き人と呼ばれている人たちで、尾とは偽預言者のことです。
「悪は火のように燃え、いばらと、おどろとを食い尽し、茂りあう林を焼き、煙の柱となって巻きあがる。」(18節)
悪人たちは火で焼かれ、いばらや雑草も焼かれます。林も火災となりすべて煙のようになくなってしまうのでしょう。
「万軍の主の怒りによって地は焼け、その民は火の燃えくさのようになり、だれもその兄弟をあわれむ者がない。」(19節)
ヤハウェ神の怒りは、その地を焼き払い、地の民も草のように燃やされます。そして、誰もそのことを憐れません。いわゆる自業自得ということでしょう。
「彼らは右手につかんでも、なお飢え、左手で食べても飽くことがない。おのおのその隣り人の肉を食う。」(20節)
かなりショッキングな表現ですが、自分の右手を食べるほどに飢饉になり、餓死した人の肉を食べるほどになるのかもしれません。実際には、イスラエルの12部族はお互いに兄弟関係ですが、その兄弟同士で戦うことになったようです。
「マナセはエフライムを、エフライムはマナセを食い、彼らは共にユダを攻める。それでも主の怒りはやまず、なおも、そのみ手を伸ばされる。」(21節)
マナセ族とエフライム族で同士討ちが起き、その後二つの部族がユダ族に攻め込むのです。
悲惨な状況ですが、神の裁きは続きます。