イザヤ16
2025-11-04

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「『相はかって、事を定めよ。真昼の中でも、あなたの陰を夜のようにし、さすらい人を隠し、のがれて来た者をわたさず、モアブのさすらい人を、あなたのうちにやどらせ、彼らの避け所となって、滅ぼす者からのがれさせよ。しえたげる者がなくなり、滅ぼす者が絶え、踏みにじる者が地から断たれたとき、」(3,4節)
引き続き、モアブの滅びについての預言です。モアブ人は逃れて来るので匿う様にします。
「一つの玉座がいつくしみによって堅く立てられ、ダビデの幕屋にあって、さばきをなし、公平を求め、正義を行うに、すみやかなる者が/真実をもってその上に座する』。」(5節)
将来、一つの玉座が堅く建てられます。ダビデの幕屋ということで、イエス・キリストによる裁きが行われるようです。その裁きは公平で正義で真実をもって裁くのです。
「われわれはモアブの高ぶりのことを聞いた、その高ぶることは、はなはだしい。われわれはその誇と、高ぶりと、そのおごりとのことを聞いた、その自慢は偽りである。」(6節)
モアブ人は神に対して誇り、高ぶり、傲慢であったようですが、それは偽善的でした。
「それゆえ、モアブは泣き叫べ、民はみなモアブのために泣き叫べ。全く撃ちのめされて、キルハレセテの干ぶどうのために嘆け。」(7節)
モアブは滅ぼされることになっていたので、泣き叫ぶのでしょう。キルハレセテには葡萄が取れていましたが、それも途絶えるようです。
「ヘシボンの畑と、シブマのぶどうの木とは、しぼみ衰えた。国々のもろもろの主が、その枝を打ち落したからである。その枝はさきにはヤゼルまでいたり、荒野にまではびこり、そのつるは広がって海を越えた。」(8節)
この葡萄の木は、モアブの勢力を示しているのかもしれません。ヤゼル地方や荒野や死海に及んでいたのでしょう。
「喜びと楽しみとは土肥えた畑から取り去られ、ぶどう畑には歌うことなく、喜び呼ばわることなく、酒ぶねを踏んで酒を絞る者なく、ぶどうの収穫を喜ぶ声はやんだ。」(10節)
葡萄は収穫がなくなり、葡萄酒を作ることもなくなります。
「モアブが高き所に出て、おのれを疲れさせ、またその聖所にきて祈っても、効果はない。」(12節)モアブ人の罪は重く、高き場所で必死に祈っても神に聞かれません。
「これは主がさきにモアブについて語られたみ言葉である。しかし今、主は語って言われる、『モアブの栄えはその大いなる群衆にもかかわらず、雇人の年期とひとしく三年のうちに、はずかしめを受け、残れる者はまことに少なく、力がない』。」(13,14節)
ヤハウェ神は預言を伝えます。モアブ人の繁栄が大群衆となっていても、雇用契約が3年と決められているように、3年の内に滅ぼされて、残れる人は少なく活力もなくなるのです。
もともとモアブ人はアブラハムの甥のロトの子孫です。創世記19:36,37に、「ロトの娘たちは父によって妊娠した。~モアブと名付けた。その子が現在のモアブ人の父祖である。」