イザヤ17
2025-11-05

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「ダマスコについての託宣。見よ、ダマスコは町の姿を失って、荒塚となる。その町々はとこしえに捨てられ、家畜の群れの住む所となって、伏しやすむが、これを脅かす者はない。」(1,2節)
ダマスカスの町に関するヤハウェ神の預言です。荒塚となって、家畜だけが残るようです。
「エフライムのとりではすたり、ダマスコの主権はやみ、スリヤの残れる者は、イスラエルの子らの/栄光のように消えうせると/万軍の主は言われる。」(3節)
北イスラエルのエフライムの砦は滅び、ダマスカスでの権力は失せ、シリアの残れる者も消え失せるようです。万軍のヤハウェ神が言われるのです。
「その日、人々はその造り主を仰ぎのぞみ、イスラエルの聖者に目をとめ、おのれの手のわざである祭壇を仰ぎのぞまず、おのれの指が造ったアシラ像と香の祭壇とに目をとめない。」(7節)
人々は創造者なる神を見ることもなく、祭壇も阿修羅像にも目を止めません。
「これはあなたがたが自分の救の神を忘れ、自分の避け所なる岩を心にとめなかったからだ。それゆえ、あなたがたは美しい植物を植え、異なる神の切り枝をさし、その植えた日にこれを成長させ、そのまいた朝にこれを花咲かせても、その収穫は悲しみと、いやしがたい苦しみの日に/とび去る。」(10,11節)
人々は救いの神を忘れ、避難所である大岩のような神を気に留めなかったからです。異教の教えを信じても、何の収穫も得られなくなるのです。
「もろもろの国は多くの水の/なりとどろくように、なりとどろく。しかし、神は彼らを懲らしめられる。彼らは遠くのがれて、風に吹き去られる山の上のもみがらのように、また暴風にうず巻くちりのように追いやられる。」(13節)
諸国は波涛のように轟きますが、それは神の懲らしめです。もみ殻のように塵のように吹き飛ばされるのです。
「夕暮には、見よ、恐れがある。まだ夜の明けないうちに彼らはうせた。これはわれわれをかすめる者の受くべき分、われわれを奪う者の引くべきくじである。」(14節)
一夜の内に人々は消え失せるのでしょう。これは神の民に略奪を加える人々が受ける結果なのです。
実際に、北イスラエルの人々は神の教えから離れて、異教の神を崇拝していたようです。それで、神はそうした人々が繁栄することをお許しになりません。北イスラエルはアッシリア帝国に滅ぼされてしまいました。正確な年代はわかりませんが、紀元前8世紀の頃でしょう。北イスラエルの首都はサマリアでした。アッシリアは北イスラエルの人々を強制移住させました。これがいわゆる「失われた10部族」と呼ばれています。その人々は諸国を放浪し、日本に移住した人々もいたようです。