イザヤ18
2025-11-06

イザヤは旧約聖書の預言者の一人です。新約聖書につながる預言もしています。
「ああ、エチオピヤの川々のかなたなる/ぶんぶんと羽音のする国、この国は葦の船を水にうかべ、ナイル川によって使者をつかわす。とく走る使者よ、行け。川々の分れる国の、たけ高く、膚のなめらかな民、遠近に恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民へ行け。」(1,2節)
エチオピアに対する預言の言葉のようです。エチオピアはナイル川の上流にありました。葦の船を使って使者が送られたようです。虫が沢山いて、戦いに強い国民だったようです。
「すべて世におるもの、地に住むものよ、山の上に旗の立つときは見よ、ラッパの鳴りひびくときは聞け。」(3節)
戦いに旗印を掲げることは、戦争の合図です。ラッパも軍隊を行動するときに用いました。
「主はわたしにこう言われた、『晴れわたった日光の熱のように、刈入れの熱むして露の多い雲のように、わたしは静かにわたしのすまいから、ながめよう』。」(4節)
ヤハウェ神は太陽の光の中から、刈り入れ時の露をもつ雲のように眺めるのです。
「刈入れの前、花は過ぎて/その花がぶどうとなって熟すとき、彼はかまをもって、つるを刈り、枝を切り去る。」(5節)
葡萄の実の収穫の時は、刈入れ人は鎌で弦や枝を切り取ります。
「彼らはみな山の猛禽と、地の獣とに捨て置かれる。猛禽はその上で夏を過ごし、地の獣はみなその上で冬を過ごす。」(6節)
山には猛禽の鳥がいて地には獣がいますが、それらの切り取られた弦や枝の上で夏や冬を過ごすようです。
「その時、川々の分れる国の/たけ高く、膚のなめらかな民、遠くの者にも近くの者にも恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民から/万軍の主にささげる贈り物を携えて、万軍の主のみ名のある所、シオンの山に来る。」(7節)
エチオピアの国民は、背が高く、皮膚はなめらかで、戦いに強いと遠方の国も近隣の国も恐れていたようです。それでも、ヤハウェ神について知った時には、エルサレムまで贈り物を届けに来たようです。
これはソロモン王の時代に、エチオピアから来たと思われるシバの女王が、多くの随員を伴って、香料、大量の金、宝石などの贈り物をラクダで運び、難問を以って彼を試そうとエルサレムを訪問した事かもしれません。
でも、イザヤ書は預言の書です。もしかしたら将来起きることなのかもしれません。現在のエチオピアは帝政が続いた後に社会主義エチオピアになっていますが、その前はソロモン王朝といって、ソロモンとの関係を重視していました。西暦13世紀にはソロモン朝があったとされています。その時代にエルサレムに贈り物をしていたかもしれません。